悟りを開くってなあに? 意味の取り方により理解も変わる

 

どうも、ZENです。

 

子供がいたり海外にいると、それってどういう意味と言う事を聞かれます。

普段何気に使用している言葉でも、うまく説明出来ない事って良くあります。

また、間違って認識している言葉もあり、焦ってしまう事もあります。

 

ここでも、何気に『焦る』とか『認識』していると話していますが

ぱっと聞かれても、焦るとは、心の落ち着きを失う事ですよとか

すぐさま出ないものです。

認識とはを説明しようと考えましたが、私自身もうまく説明出来ないので

ググってみましたが、余計に解らなくなってしまいました。

ウキキペディアから引用

認識にんしきは基本的には哲学概念で、主体あるいは主観対象を明確に把握することを言う。知識とほぼ同義の語であるが、日常語の知識と区別され、知識は主に認識によって得られた「成果」を意味するが、認識は成果のみならず、対象を把握するに至る「作用」を含む概念である[1]

 





悟りの本当の意味を知る前の私の認識


何かをしてて、完璧に理解をした時やマスターした時に

『悟ったわ』なんて事を良く言っていました。

 

そして、僧侶が厳しい修行をするのは悟りを得る為とも言う事から

厳しい修行に耐えなければならないものなんて理解もしていました。

 


悟りの本当の意味とは


ウキキペディアには、この様に記載されています。

悟り(さとり、bodhi)とは、迷いの世界を超え、真理を体得すること[1]覚悟証得証悟菩提などともいう[1][注釈 1]仏教において悟りは、涅槃解脱とも同義とされる[1]

日常用語としては、理解すること、知ること、気づくこと、感づくことなどを意味する[2]

 

まあ、私の頭では良く理解出来ません。そして、日常用語としての意味合いでしか

理解は出来ておりません。

 

それが、斎藤一人さんだったかな、数年前の話なので、誰だか忘れてしまいましたが

これを聞いて、これが本来の悟りの意味だと思いましたので、以降悟りの意味を

この様に理解しています。

 

春になると気候も暖かくなり、冬の厳しい時期を通り過ぎ心が解放されるものです。

秋になれば、夏の厳しい暑さも通り過ぎ、過ごしやすい日々となります。

また、果物や穀物等の収穫時期になり、食欲も増してくるものです。

 

私たちの生きる環境は、私達が日々起こる出来事や怒りや悲しみの様な感情に関係なく

私たちに豊かな恵みを与えてくれています。

 

『悟り』とは、自分自身のフィルターから見て、出来事を判断するものではなく

また、何かを極めるものでもない。

 

ただ、そこにあるものは、ありのままの現実を受け止め、その現実を感謝する事

それこそが、悟りであり、僧侶が厳しい修行をするのも、自分自身の中にある

雑念を拭い去り、無心の境地に自分の身を置く為だとも言われている様です。

 


全ての物事に感謝をする。


 

今日も太陽が昇ってくれてありがとう。

美味しい空気が吸えてありがとう。

 

普段、私たちがタダで手に入れている環境ですが

これは、当たり前ではなく、有難い事。

 

普段、私たちが三食当たり前の様に食事をしているが

他のモノの命をいただく、有難い事。

 

私自身が、普段からそこまで感謝をして

ありのままの出来事を受け入れて感謝出来ているかと言えば

まだまだ出来ていない事だらけで、会社の飲み会では上司への不満をぶちまけ

不満をアテに盛り上がる事なんて事もまだまだあります。

 

しかしながら、出来事を素直に受け入れる事が出来た時は、心が清々しいものです。

また、感謝が出来ると自然と笑顔になります。

 

その事は実感出来ておりますので、これからも『悟り』を意識して

日々の生活を送って行きたいと思います。

 




 

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