人生諦めなければ、なんとかなるものです

どうも、ZENです。

写真は香港の大澳に言った時の写真です。

ここはアジアのベニスと呼ばれる漁師町

昔ながらの香港の漁民の暮らしを垣間見る事が出来ます。

また、運が良ければピンクのイルカが見れる事で有名で

多くの観光客が訪れる場所となります。

 

前置きはさておき、人生やりたい事があれば

何とかなるものです。

 

私自身、中国での留学を終え、日本に帰国し就職してみるも

何だか、日本の生活は便利で楽しいが物足りなさを感じました。

 

そして、約1年間ですが日本で働いた後に再び中国での暮らしを

始めました。2001年10月の出来事なので時が過ぎるのは早いな

なんて思っております。

 



 


香港に就職活動をする事になった経緯


 

留学を終え、日本で就職してはみたものの、何だか物足りない毎日を過ごして

いました。

中国に戻るにせよ、2年も留学させてもらって、再度 留学させて欲しいなんて

言えない。

そうすれば、就職と言う手しかないなと思い、中国での求人を探してみるも

2001年当時の中国での給与は3000元位(日本円で6万円)位だったので

短期的には良いが、長期的には無理だなと半ば諦めておりました。

 

そんな中で留学時代の友人が日本で中国での駐在員の切符を手に入れたり

同僚が香港の会社に転職する等、周りの人が

どんどん中国に向かって行く事に対して

自分だけ取り残された様な感覚に陥りました。

 

そこで、同僚から聞いた衝撃の事実を知り、中国行きの切符を手に入れるべく

会社に退職願を提出しました。

 

その事実とは、香港で働くとなると約20,000HKD(約30万円)の給与が貰える事

中国でも広東省だと香港に隣接していたおかげで、15,000HKD(約225000円)と

ほぼ日本と同額の給与が貰える上に、家や食事までも会社から提供される事が多い事

現地のワーカーさんの給与が約500人民元(約10,000円)の時代に、

現地のワーカーさんの22倍の給与が貰えるとなれば、会社を辞めて香港に出向き就職活動

する価値ありとの判断をしました。

 


就職活動は日本で香港のエージェントに登録するところから


いきなり香港に出向き、エージェントを探し活動するのは

無謀すぎる為、まずは香港にあるエージェントにコンタクトを取りました。

 

2001年は留学生でこそ、年間1万人近くが留学をして居ましたが

就職希望者は少ない上、仕事をする上で現地スタッフと日本との中継をする人材が

不足していた関係で、すぐにでも来て欲しいと言う案件ばかりで

エージェント側も常に多くの案件を抱えているとの事でした。

 

そこで、予め面接スケジュールを組んだうえで、飛行機のチケットを予約し

香港に就職活動にする運びとなりました。

 


人生諦めなければ、何とかなるもの


 

私の場合は、広東省の条件を知らなかった為

半ば、再び中国で生活する事を諦めていましたが

何とかならないかと常にアンテナを張っていた事と

身近な人が私より先に香港や広東省にて仕事を見つけてくれたおかげで

香港への就職活動のきっかけを得る事が出来ました。

 

しかし、初めから中国に行く事を諦めていたら

情報を手に入れても行動には移せていなかったと思います。

 

そして、行動に移せていないだけでなく、話を聞き流して

終わっていたと思います。

 

人生諦めなければ、解決策がどこからともなくやって来るものです。

勿論、目的地にたどり着く為には、幾つかの試練を乗り越える事が必要かも

知れません。

 

ただ、他人が出来ている事が自分でも出来るものです。

また、方法は無数にあります。手を変えで繰り返しチャレンジすれば

自分でも目標値にたどり着く方法が見つかると思います。

 

人生長い様で短いものです。

40過ぎると尚更思います。

 

やりたい事があるならば、諦めずにチャレンジする方法を模索していけば

何とかなるものです。

やりたい事を難しく考えチャレンジする事を諦めたら人生損しちゃいますよ。

 



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2件のコメント

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