どうも、ZENです。
ここ最近、近未来都市として紹介される事が多い深圳ですが、私が初めて足を踏み入れた2001年は
深圳の羅湖と言う場所ぐらいしか発展しておらず、69階建ての地王ビル左写真の青いビルぐらいしか高層ビルはなく、今の様な高層ビルが立ち並び、近未来都市と言うにはほど遠い世界が広がっていました。
もちろん、綺麗なショッピングモールなんてものもありませんでした。
余談ですが2009年までは地王ビルの右交差点を挟んだ斜め向かいの白いマンションに住んでいました。
2000年ごろの深圳
1990年代の深圳は、まだ田畑が広がり、農村地帯そのものだった様です。
また、公開処刑なんてものがあり、死刑囚がトラックの荷台に乗せられこれから死刑が執行
される事を知らせながら街中を走るという見せしめが行われていた様です。
私が住み始めた2001年には、この見せしめは無くなってはいましたが
香港とのイミグレーションを抜けると物乞いにあふれ、『のっぺらぼう』や足が変な角度に曲がっている人や全身大やけどの人等、非常に危険な空気が漂う場所ではありました。
因みに物乞いたちは、本当に貧乏な人もいるかも知れませんが、殆どがヤクザに買われた人や
商売としてやっている人が大半です。
私の住んでいたマンションの入り口付近に物乞いの集合場所があり、マルボロ等の高い煙草を吸いながら雑談した後に各々の場所に物乞いの為の出勤をする光景を目の当たりにしていたので、
商売として物乞いをしている人はかなりの人数がいるとみています。
街並みはというと、一言でいうと清潔感はなく、偽物製品が溢れた街で綺麗なショッピングモールや
地下鉄もなく、近代都市とはかけ離れた存在でした。
ただ、近代都市とはかけ離れた存在と言っても、深圳市は特別な街で深圳特区の堺には、国境の様な
ボーダーがあり、外国人はパスポート、中国人は入京許可書がなければ深圳市内に入れないと言った
状況でしたので、特区外と比べれば、非常に栄えた街であった事は付け加えておきます。
栄えだしたのは2005年頃
もう、この頃は建設ラッシュや地下鉄工事で交通渋滞も酷かったです。
ただ、高層ビルも一気に立ち並び、2001年と比べれば、まったく別の街並みが広がっておりました。
綺麗なショッピングモールに綺麗なレストラン等々、香港に行かなくても深圳で楽しめるなと思えてきたのもこの頃ぐらいです。それまでは週末と言えば、香港で遊ぶ事が楽しみでした。
この頃になるとシンガポール系のパン屋さんが進出してきたり、日系レストランのチェーン店が
進出してきたりしたので、中華以外の食の方も非常に充実してきました。
現在の深圳の街並み
キャッシュレス化が進みすぎて、現金拒否なお店もあるくらいです。
そんな環境なので、外国人旅行者には少々厳しい世界となっております。
コンビニでさえ、現金と言うとおつりがない等平気で言ってきますし
レストランの注文もモバイルで注文+アプリでの支払いしかない店もあるので
そこらへんは、少し現金支持派には生きにくい環境かも知れません。
因みに中国人はほとんど現金を持っておらず、友達とのお金のやり取りもアプリで行います。
電車やタクシーの支払いもアプリで出来ますので、キャッシュレスという面では
世界でもダントツに進んでいると思います。
バス、タクシーは地元企業であるBYDが幅を利かせており、バスはほぼBYD社の電動バスで、タクシーも半分以上はBYD社の電動タクシーだと思われます。
ただ、電動タクシーやバスは深圳市内限定で、郊外にはいってくれません。
これは、私がいた2019年頃までの情報なので、現在はもう少し電動バスやタクシーの営業範囲が増えている事だと思いますが、営業範囲は深圳市内のみで充電スタンドの充実していない
隣の街の東莞市等へは行ってくれませんでした。
あと、街中では揃わないものはないというくらい、なんでも揃います。
また、地下鉄も街中に張り巡らされているため、東京や大阪の都心部と変わらぬくらい
交通網は発達しております。
まさしく、インターネットの制限以外は何不自由なくストレスなく暮らすことが
出来る環境です。香港に対しても引けを取りません。
サービスも非常に良くなり、レストランでも気持ちよく食事をとることが出来ます。
現在は、米中貿易戦争のせいか、中国に対する動向をしっかり見ながら行動を
する必要はありますが、この問題がなければ、非常に近代的で住みやすい街である事は
間違いありません。
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